他のクリスチャンとつながる

「だれもが皆、孤島ではありません。皆が大陸のひとかけら、本土のひと部分なのです。」 ジョン・ダン『黙想集17』

だれか先輩のクリスチャンがあなたの信仰の成長を助けてくれるとしたら、なんと素敵なことでしょう?あなたの素朴な疑問に耳を傾け、あなたが抱える問題に理解を示すクリスチャンが近くにいますか?信仰生活や、神に信頼をおくことにおいて、あなたの模範となる人はだれでしょう?

イエス・キリストとの関係が始まったとき、他のクリスチャンとの関係も始まりました。あなたは今や、神の家族の一員です。神の家族の中で孤児となる人は一人もいません。神は、神の子どもが「信仰の孤島」でさびしく生きてほしいとは、願ってはいません。むしろクリスチャンの共同体で互いに関わりを持ってほしいと願っています。自分たちよりももっと大きな「存在」の一員になってほしいと、神は願っています。その「存在」とは、普遍的な世界大の「教会」のことです。

たとえ教会堂という「建物」に入ったことがなくても、あなたがイエスを心から信じるクリスチャンであるならば、聖書はあなたも神の「普遍的な教会」の一員だと説明しています。神の「普遍的な教会」は、教団教派、文化や国籍を超えて存在しています。聖書ではこのすべてのクリスチャンの連合体、普遍的な教会を「キリストのからだ」と呼んでいます。

あなたには世界中に神の家族がいます。これが教会の「普遍的」な側面です。同時に、あなたが今住んでいる地域にも、信仰の家族がいます。信仰の家族のメンバーは地域の教会、または大学のクリスチャン・サークルで、あなたを待っています。

「完璧」な教会

クリスチャンになったばかりの頃、私はよく教会を批判していました。なぜ、もっとわかりやすく聖書を教えてくれないのか?なぜ福音をもっと伝えようとしないのか?なぜ口先だけのクリスチャンが多いのか…?

ある日曜日の礼拝で、牧師が教会の役割について語りました。長年、次の言葉が私の心に響いています。「もし仮にあなたが完璧だと思う教会を見つけたとしたら、実はその教会には加わらないほうがいいのです。というのは、完璧な人は一人もいません。不完全なあなたが、その完璧な教会に加わることで、その教会の『完璧さ』を破壊してしまうでしょう…。」

自分の教会や他の教会を細かく調査し、ランク付けしている私に、気がついたのです。私自身は完全ではありません。それなのに、なぜ教会には完全さを期待するのでしょう。

教会は神の組織です。イエスが、この地上でイエス自身を代表する組織として、教会を設立しました。けれども、教会はクリスチャンとして成長する過程にある人たちの集まりです。教会の中には、まだクリスチャンではない人たちも来ています。またクリスチャンであっても、神よりも別のことに優先順位を置く人もいます。

完璧な教会を見つけることはできません。しかし、あなたに合った教会を見つけることはできます。

ではどのように、あなたに合う教会を見つけたらいいのでしょうか?教会を訪問するとき、以下の質問について考えてみてください。同時に、完璧な教会は一つもないことは覚えておいてください。批判的な態度ではなく、ぜひ温かい心で各教会を見てみてください。

この教会は何を信じているのか?

教会には通常「信仰告白」を記した印刷物があります。または「信仰告白」をホームページに掲載している教会もあります。それを読み、理解して、あなたが同意できるかが大切です。もし教会の信仰に関して質問があれば、牧師に質問してみてください。

この教会は愛をあらわしているのか?

クリスチャンは「愛」をあらわす存在です。「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたは互いに愛し合いなさい。互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるようになります。」(ヨハネ13:34,35)

では、その教会がキリストの愛をあらわしているか、どうしたらわかるのでしょうか?ジーン・ゲイツはその著書『教会の指標』の中でこう語っています。「聖書が語る愛とは、キリストがこの地上に来て、人々の間に住んだ際にあらわした愛である。このキリストの愛を受けて、その愛で他の人を態度と行動で愛するのである。」

そのような愛は、苦々しい関係やうわさ話の中にはありません。聖書が語る愛は、ゆるしと励ましにあらわされます。愛しにくい人にも、忍耐深く、理解を示す態度です。教会で愛があらわされるとき、キリストが今も生きていることがわかるのです。

この教会は聖書をどう教えているだろうか?

どこの教会でも、日曜礼拝では聖書が読まれ、牧師が聖書からメッセージを語ります。メッセージを聞くとき、ぜひその内容に心をとめてください。アウトラインをメモするのも良いでしょう。牧師は、読まれた聖書箇所から教えているでしょうか?それとも聖書を、牧師が主張したい内容の「踏み台」のように使ってはいないでしょうか?

教会員の方々と話すとき、彼らが聖書から教えられ、一週間、神とともに生きる備えができているのか、観察してみてください。教会員によく聖書を教えている教会があります。どのように友人の話を聞くべきか、周囲の必要な人をどう助けるべきか、信仰をどう伝えるのか、聖書から訓練している教会です。教会員が聖書をよく学び、人に仕える準備が整っているでしょうか?他の人に仕え、聖書のことばに生きているでしょうか?

教会の皆さんはだれについて話しているのか?

私たちは、昨日のスポーツ試合の結果や、子どもの成長について話す必要があります。クリスチャン同士、世間の多様な話題で話すことが、クリスチャン的ではないとは言いません。クリスチャンも人生を楽しむべきです。しかし教会での会話が、職場での世間話と変わりないものであるならば、何かが欠けているように感じるものです。

イエス・キリストこそ、全世界で最も魅力ある人物です。教会の皆さんはイエス・キリストを尊重し、あがめているでしょうか。何回か教会の礼拝に参加してみると、教会の皆さんが集まる目的を感じ取れるものです。自分自身のために教会に集っているのか、牧師のために集っているのか。聞きやすいメッセージだから集っているのか。教会の評判が良いから、来ているのか。しかし究極的には、教会に集う目的は神に栄光を帰し、神を礼拝するためです。

この教会は他のキリスト教宣教団体にも好意的でしょうか?

普遍的な「キリストのからだ」の一致を大切にする教会であれば、他のキリスト教団体の働きのために祈り、支援をしようとしています。極端な孤立や自分の教会だけを大切にする態度は、新約聖書に出てくる教会には見られません。

あなたの選択です

いくつかの教会を訪問した後、ぜひ続けて集う教会を一つ選んでください。そこの教会のメンバーと知り合う機会を探ってください。ある人は自分から挨拶をしないかもしれません。もしかすると、彼らもまだ教会に来て間もないのかもしれません。あなたの方から、積極的に人に出会っていってください。

日本の教会の平均出席者数は20人以下と言われています。訪問した教会に同世代のクリスチャンはいないかもしれません。けれども信仰の先輩や、子どもたちから学ぶことも多くあります。牧師に自己紹介するときは、「地域の教会をいくつか訪問して、自分に合った教会を探しているので祈ってください」と伝えましょう。

自分ひとりの殻に閉じこもっていては、キリストとの関係において、成熟はできません。あなたに関心を寄せる人々がいます。人生の困難な季節を通るときに、助けてくれる仲間がいます。彼らもそれぞれ神の「救いの奇跡」を体験して、このコミュニティーに集っているのです。このクリスチャンのコミュニティーこそが教会なのです。

このWebページや大学でイエスを信じて、近所の教会に集ってみたいと願っている方は、こちらのリンクからお近くの教会を探してください。

https://church-info.jp
(外部サイトに移動します)

大学のクリスチャン・サークルをお探しの方はこちらをどうぞ
https://www.studentimpact.jp

質問がある方はこちらまで
https://www.studentinjapan.com/m/per.html

訳者注:現在、感染症対策のために日曜礼拝をインターネット配信で行なっている教会もあります。そのような教会でも、オンラインのバイブル・スタディー・グループや、少人数の家庭集会を行なっているところもあります。ぜひ積極的に、他のクリスチャンと関わる機会をつくってください。