私も救われていますか?


「私、本当にクリスチャンなの?」「クリスチャンになるには…どうしたらいいの?」そう思っている方もいるかもしれません。今回から全6回。皆さんと信仰生活のABCを学ぶバイブル・スタディ『信仰生活超入門』の第一課です。まずは上の動画をご覧になり、以下の質問に答えてください。

皆さまから Student in Japan に寄せられた素朴な疑問にお答えします。今回の質問は:

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📤「私は最近、教会に通い始めました。よく教会の人にあなたはクリスチャンですか?救われていますか?と聞かれます。救われるとは何のことですか?そもそも、どうすればクリスチャンになれますか?」

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救い=イエス・キリストを信じる

「どうすれば、クリスチャンになれるのか?」

一言でいうならば「イエス・キリストを神と信じる人がクリスチャンです」。「救われる」とは、クリスチャンになるということです。

救いは信仰による

私がクリスチャンになったのは、大学1年生のときです。

大学の友だちの紹介で、大学内のクリスチャン・サークルに参加するようになったのが、きっかけです。先輩もいれば、留学生もいる。気さくで、自然体で話せる雰囲気が好きになりました。毎週水曜日、空き教室に集まり、弁当を食べ、聖書を一箇所読んで、お互いのために祈る。シンプルな会でした。

半年が過ぎたこと、先輩が小冊子を読みながら、聖書について説明してくました。「神はあなたを愛しており、あなたにすばらしい計画をもっています。」そう聞いて、うれしくなりました。

「しかしすべての人には罪があり、神との間に越すことができない断絶がある。その断絶を解決するため、神であるイエス・キリストが今から2000年前、この地上に人なって来ました。そしてイエスは全人類の罪を身代わりに背負い、十字架について死に、その3日後、死から復活した」と聞きました。

「今日、このイエス・キリストを信じてみない?」こう質問されました。考えている私に先輩が聖書を読んでくれました。「わたし(イエス)は決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」ヘブル13:5 (新改訳第三版)

優柔不断で、どう選択したら良いのかを悩んでいました。何か人生の核となる基準がほしいと願っていました。このイエスに信頼するとき、キリストご自身がどんなときにもともにいて、私を導かれる。このキリストを信じてみようと決心しました。先輩と一緒に、イエスさまを信じますと、その場で祈りました。

この時以来、確かに神さまが私の人生を導いています。毎日、聖書を読む時、不思議と私の悩みの答えとなる聖書の約束に目がとまります。祈るとき、祈りが答えられます。

選択に迷うことは今でもあります。しかしともに悩み、ベストなタイミングで答えを示すイエスさまがともにいます。

神の子ども

「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」ヨハネ1:12

「この方」とはイエスのことです。「その名」すなわち、イエスという名前の意味は「神は救い」です。イエスこそが神だと信じる人には、神の子どもとされる特権が与えられます。

イエスを信じるとき、クリスチャンとなり、神の大きな家族の一員となります。子どもとして受け入れてくれます。罪がゆるされ、神と和解し、死んでも天国に行く切符が与えられます。全く新しい人生をスタートさせることができるのです。

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ここでもう一度、新約聖書ヨハネ1:12をご自分で読んで、以下の質問について考えてみてください。だれかと一緒に、このバイブル・スタディをしていたら、ぜひ以下の質問でディスカッションしてみてください。

「しかし、この方(イエス)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」ヨハネ1:12

①イエスを信じた人にはどんな特権が与えられていますか?


②あなたはもうイエスを信じ、受け入れましたか?


③もしまだなら、今、イエスを信じてみませんか?


イエスを信じてみたいと願う方は、こちらの『神を知るには』の記事をお読みください。

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罪からの救い

先程「救われる」とはクリスチャンになることだと言いました。では、何から救われるのでしょう? すべての人は罪人です。私たちは、罪の刑罰から救われるのです。

「この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」エペソ2:8-9

恵み

恵みとは、イエスが皆さんの罪の刑罰を身代わりに背負ってくださったことです。本来、私たちはイエスさまとは何も関係もない存在でした。しかしイエスさまはその愛ゆえに、私の身代わりにいのちを投げ出してくださったのです。

この恵みを、神を信頼して受け取るのです。それはちょうど、プレゼントを受け取るようなものえです。

プレゼント

プレゼントは何かのお礼でも、賞品でも、賄賂でもありません。あくまでも相手の方に喜んでもらいたいから、プレゼントをするのです。プレゼントを受け取る側は、これは爆弾でもない。何か変な意図があるわけではないと素直に、プレゼントする側を信じて受け取るのです。

イエスという救いのプレゼントを、私たちの側では、贈り主である神を信頼して受け取ればいいのです。そのとき、罪のゆるしが与えられます。

信仰による救い

私たちの行いの結果ではないのです。行いによるならば、できる子は救われるけれども、できない子は救われなくなります。

人は身体的能力、その人の置かれた条件など、みんな違います。私のようにできない子でも、ただイエスさまを信じるときに、だれでも平等に救わるのです。これが恵みです。信仰による救いなのです。

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もう一度、新約聖書 エペソ2:8-9 をご自分で読んで、以下の質問について考えてください。

「この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」エペソ2:8-9

①「恵み」とはどういう意味でしょう?


②「信仰」とはどういう意味でしょう?


③ なぜ、行いでは罪から救われないのでしょう?


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聖書には確かに、イエスを信じたら救われる。クリスチャンになれると書いてあります。でも多くの人はイエスを信じていても、救われているという実感が持てずにいるのではないでしょうか。

✅信仰とは「信頼」

私は飛行機に乗るたびに緊張します。墜落したらどうしようと思います。いつも離陸前の安全のビデオは緊張して見ています。安全のしおりもしっかりと目を通します。離陸前にはいつも真剣に祈ります。

でも感謝なことに、今まで飛行機事故にあったことはありません。安全な飛行機に乗りさえすれば、不安があっても、目的に無事に到着できるのです。ただ飛行機とパイロット、航空会社のシステムに信頼することが必要です。私たちは飛行機やパイロット、航空会社に信頼して、生命を預けて、飛行機に乗るのです。イエスは航空会社やパイロット以上に信頼できる方です。

✅神と聖書への信頼

イエスを信じた後も、私たちの感情・感覚よりも、日々神さまご自身と神のことばである、聖書の約束に信頼しましょう。神への信頼が深まるにつれて、安心、平安、喜びが心に満ちてきます。不安から解放され、落ち着いて行動できるようになります。

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●発展学習

新約聖書 ヨハネの手紙第一5:11-12 を読んでください。

「その証しとは、神が私たちに永遠のいのちを与えてくださったということ、そして、そのいのちが御子のうちにあるということです。御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持っていない者はいのちを持っていません。」Ⅰヨハネ5:11-12

①神はどのようないのちを与えてくれましたか?


②そのいのちはどこで見出すことができますか?


③神の御子イエスを信じ、イエスを心に持つ人はこの永遠のいのちを持っていますか?


このヨハネの手紙第一5:11-12を、一字一句正確に暗唱してみてください。