聖霊の賜物とは何ですか?

【質問】教会で「あなたの賜物は何ですか?」とよく質問されます。「賜物」とは何ですか?聖書はどう語っていますか?

【私たちの回答】 ギターが上手だと、教会ではよく「賛美の賜物がありますね…」と言われます。また、英語が得意だと「あなたの語学の賜物を、もっと神さまのために用いてください」とも言われます。教会ではよく、得意分野や特別な才能を「賜物」と表現するようです。

英語の「才能がある」という表現で、“gifted” と言う言葉があります。この ”gifted” を日本語でそのまま直訳して、教会で「賜物がある」という表現が使われているのかもしれません。もちろん人が持つ才能も天賦のもので、神がそれぞれに得意分野や特別な才能を与えたのも事実です。

楽器や語学も、神が人に関心を与え、学ぶ環境を提供したものです。コツコツと勉強する意欲や、すぐれた先生との出会い、レッスン代も神が準備したものとも言えます。なので、人のもつ才能や得意分野も、神の「賜物」と呼ぶのも頷けます。

聖書が語る「聖霊の賜物」

しかし聖書が語る「聖霊の賜物」はもう少し限定的なものです。新約聖書ではいくつかの箇所で、聖霊の賜物のリストが書かれています。

「私たちは、与えられた恵みにしたがって、異なる賜物を持っているので、それが預言であれば、信仰に応じて預言し、奉仕であれば奉仕し、教える人であれば教え、勧める人であれば勧め、分け与える人は惜しまず分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は喜んでそれを行いなさい。」ローマ12:6-8

「皆の益となるために、一人ひとりに御霊の現れが与えられているのです。ある人には御霊を通して知恵のことばが、ある人には同じ御霊によって知識のことばが与えられています。ある人には同じ御霊によって信仰、ある人には同一の御霊によって癒しの賜物、ある人には奇跡を行う力、ある人には預言、ある人には霊を見分ける力、ある人には種々の異言、ある人には異言を解き明かす力が与えられています。同じ一つの御霊がこれらすべてのことをなさるのであり、御霊は、みこころのままに、一人ひとりそれぞれに賜物を分け与えてくださるのです。」1コリント12:7-11

聖霊の賜物とは、内住の聖霊が教会全体を建て上げるため、各クリスチャンに与えた特別な力です。人によって才能や得意分野が違うように、聖霊の賜物も人によって違います。違う聖霊の賜物を持つ人が集まる中で、教会全体が建て上げられていくのです。

聖霊の賜物には、多様な種類のものがあります。上記の2つの聖書箇所から、リストにすると以下の通りです。

A)預言 B)奉仕 C)教える D)勧める E)分け与える F)指導 G)慈善 H)知恵のことば I)知識のことば G)信仰 K)癒し L)奇跡を行う力 M)霊を見分ける力 N)異言 P)異言の解き明かす力

もしかするとこれらは一例にすぎず、それ以外にもあるのかもしれません。ただ福音的な教会の中には、聖書の完成によって神の啓示は完結しており、預言、癒し、奇跡、霊を見分ける力、異言、異言の解き明かしなどの「力の賜物」は、すでに停止したと信じる教会もあります。

一方これらの「力の賜物」が近年、神が回復していると考える教会もあります。ペンテコステ派、カリスマ派と呼ばれる教会です。

教会を建て上げるため

すべてのクリスチャンが、神から少なくとも一つの「聖霊の賜物」を受けています。聖霊の賜物は、語学や音楽のように、勉強や訓練で身につけるものではありません。聖霊の賜物は、聖霊が内住することで与えられる特別な能力です。

聖霊の賜物は、皆で「キリストのからだ」である教会を建て上げるために与えられます(1コリント12:7, 14:12)。 それぞれの役割や分担は違います。しかし皆が同じ方向に向かって進んでいるのです。

賜物を用いるとき、教会全体の秩序と調和、そして何よりも互いの間の愛が必要です(1コリント13章)。聖霊の賜物を用いた奉仕は決して、あなたの自己実現のためのものではないのです。

御霊の実

その意味で、聖霊の賜物とともに、御霊の実も大切です。イエスを信じて、聖霊が心に内住するとき、聖霊の実が私たちの人生に結ばれていきます。聖霊の実とは以下のものです。

「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。」ガラテヤ5:22,23

聖霊の賜物を活かすとき、御霊の実を結んだ生き方、人格が基盤になります。聖霊の賜物と同時に、聖霊の実が私たちの人格のうちに結ばれるように、切に祈っていきましょう。

賜物が与えられるときは…

聖霊の賜物がいつ与えられるのか、その正確なタイミングについては、聖書は語っていません。 多くの場合は、聖霊の賜物がイエスを信じて、霊的に誕生した瞬間に与えられます。

同時に、信仰の成長の過程の中で与えられる「聖霊の賜物」もあるようです。特に、教会である特定の役割を担うために、与えられる「賜物」もあるようです。

「そういうわけで、私はあなたに思い起こしてほしいのです。私の按手によってあなたのうちに与えられた神の賜物を、再び燃え立たせてください。」2テモテ1:6

「長老たちによる按手を受けたとき、預言によって与えられた、あなたがたのうちにある賜物を軽んじてはいけません。」1テモテ4:14

テモテは牧師に任命されたときに「聖霊の賜物」を受けたと書かれています。ここでは、テモテの牧師任命式での祈りの中で、テモテが牧師としての使命を果たす上で必要な「聖霊の賜物」を受けたようです。

大切なことは、あなたが受けた聖霊の賜物が何かを知ることです。その聖霊の賜物が、教会の奉仕で活かされるように、仕えましょう。

聖霊の賜物を用いるとき、奉仕はさらに効果的になり、成熟したものになります。聖霊の賜物を用いて、神の栄光が現されるとき、心は平安と喜びに満たされます。奉仕が苦ではなく、喜びになります。

賜物に格付けはない

聖霊の賜物を与えるのは神です。人間の側で賜物の種類を選択できません。どの賜物が良くて、どの賜物が劣るというものでもありません。人に与えられた賜物と自分の賜物を比較しないでください。それぞれの賜物、奉仕がすばらしいのです。

また、すべての人が特定の聖霊の賜物を持っているわけでもありません。パウロはコリント教会のクリスチャンに、聖霊の賜物を望むなら、特に預言のような、人の成長に役立つ賜物を求めるように語っています。 パウロはなぜ「より良い」賜物を求めるように語ったのでしょうか。

ソロモン王は、国をよく統治できるように、神の知恵を求めました。今日の教会の必要のために、神は私たちにも必要な賜物を与えるのです。

とはいえ、聖霊の賜物は、私たち自身の選択ではありません。神は人それぞれにふさわしい聖霊の賜物を与えるのです。

もしコリント教会のクリスチャン全員が「預言」の賜物だけを受けていたら、どうでしょう。だれが、教会の他の奉仕をするのでしょうか。

皆が預言をしていたら、だれが初めて教会に来た人をもてなすのでしょう。教会の事務的な役割はだれが担うのでしょうか。だれが教会の全体の奉仕を配分するのでしょう。だれが教会堂の掃除をするのでしょうか。だれが教会員一人ひとりのケアを担うのでしょうか。

教会全体がチームです。奉仕にはいろいろあります。皆がチームとなって、教会を建て上げていくのです。

賜物はなくても…

もう一つ大切なことをお話しします。私たちは自分の賜物ではない奉仕を、全くしなくて良いというわけではありません。

例えば、イエスを証しをすること、人を愛すること、旅人をもてなすこと、すべての国の人々を弟子にすることは、どのクリスチャンに対しても、神が命じていることです。神はすべてのクリスチャンにキリストを証し、弟子をつくるように命じています(マタイ28:18-20、使徒1:8)。伝道の賜物が与えられている人だけに与えられた命令ではないのです。

福音を宣べ伝える才能に恵まれない人もいます。口下手な人もいるでしょう。たとえ、あなたに「伝道」の賜物がなくても、あなたも福音を伝えるように召されているのです。

ただ「伝道」の賜物を持つ人は、相手の必要に敏感です。相手に合わせた適切なことばで、福音を伝えることができます。また自然と相手が心を開く、証しの機会を設けることができます。

大切なことは、賜物があるかないかではありません。神のことばに従うかです。福音を語るとき、たとえ「伝道」の賜物がなくても、神は適切な助けを与えます。

もてなすこと、人に親切に接すること、互いに仕え合うことも、すべてのクリスチャンに求められていることです。賜物に関係なく、機会があるとき、喜んで神に従いましょう。

働きを成熟させる

聖霊の賜物は、キリストを信じたときに受け取ったものです。同時に、神との関係が成長する過程の中で、培われていくものでもあります。

あなたが心から願うならば、聖霊の賜物をさらに成熟させることはできます。ぜひあなたに与えられた神の賜物を知り、賜物を用いて、積極的に奉仕に参加してください。賜物を用いるとき、さらに賜物を成熟させることができます。

また、私たちは別の賜物を、神に求めても良いのです。1コリント12:31では「あなたがたは、よりすぐれた賜物を熱心に求めなさい」と書かれています。神に特定の賜物を求め、あなたの働きを成熟させることもできます。

神の主権

しかし神があなたにどのような賜物を与えるかは、神の主権に関わることです。祈ったからと言って、必ず受け取れるというものではありません。

神には無限な知恵があり、特別な計画があります。神には、あなたがどのように賜物を用いて、神の国に貢献できるのかも、よく知っています。

神への愛のゆえに、神の栄光のため、人々に仕え、福音を宣べ伝えるときに、神は御名をあがめられます。教会が強められます(1コリント3:5-8, 12:31-14:1)。

私たちが神を喜びとするとき、神は私たちの祈りに答えてくれます(詩篇37:4-5)。神への奉仕のために自分自身を整えることを、神は願っています。聖霊の賜物を用いて、神の使命に生きるとき、私たちは人生の目的と充実を得ることができるのです。