両親と良好な関係を築く

若い皆さんの多くは私と同じように感じているのではないでしょうか?私はもう大人なのに、両親はいつも私を子ども扱いする…。自由をくれず、私自身で決める権利も与えてくれない…。ここでは、すでに大人になった私たちが、両親にどのように接していったら良いのかに、焦点を当てたいと願っています。本稿を読んだあと、皆さんとご両親との関係に大きな前進があることを願っています。

最初に、皆さんとご両親の関係はいかがですか。ご両親とは親しいですか?良好な関係ですか?もし両親と同居していなければ、両親に連絡を取ることを楽しみにしていますか?実家に電話していますか?両親と会うことは、子が果たすべき責任だからですか?両親と時間を過ごすことを、楽しみにしているでしょうか?

子どもたちよ。主にあって自分の両親に従いなさい。これは正しいことなのです。『あなたの父と母を敬え』。これは約束を伴う第一の戒めです。(エペソ6:1-2)

この聖書箇所は子どもたちに対する命令です。この命令を二段階に分けて捉えてみましょう。第一段階は、子である私たちは、主にあって、両親に聞き従う必要があることです。この「従う」の定義は命令に従うこと。100%の従順です。ここに議論の余地はありません。未成年のときに両親に従うことで、将来何かの権威に従う社会性を学ぶ機会にもなるのです。

1.両親を敬う

しかし私たちが成長するにつれて、私たちは自分の責任は自分で負うことを学び始める必要があるのです。親子関係も新しい段階に入ります。以前は両親の権限のもと、両親が保護者として責任を負ってきました。今や私たちが大人になり、聖書は「父母を敬う」べきだと語っています。「従う」と「敬う」ことは違います。「敬う」と日本人の徳目の一つ「親孝行」も、また少し違います。私自身、この「敬う」と言う感覚が好きです。

敬うとは何でも両親の言いなりになると言うことではないのです。では「敬う」とはどう言う意味でしょうか。ギリシャ語原語の中の「敬う」と言う単語は、「重量」の意味があります。「敬う」の定義は「ある人が喜んで自ら、尊敬と名声、栄誉と価値を、こんもりと両親の上に置く」と言う意味です。聖書が言う「敬う」とは相手に「敬意を払う」と言うことです。

でもある人は、私の両親は私に全く自由をくれない。もし両親をさらに尊重しろと言うなら、両親の言いなりになってしまうと考えるでしょう。大学生の皆さんの多くが、両親を尊重しつつ、自分自身で決断できる自由がほしいと願っているのではないでしょうか。でもまずは両親の立場で、子離れすることの難しさを、皆さんに理解してほしいのです。両親にも「子離れ」には、ある程度の時間が必要で、一つ一つ過程を踏んでいくものです。今回、皆さんいくつかの提案をしたいと願っています。皆さんとご両親の間で、この過程を一歩一歩適切に進んでいけることを願っています。

2.「成熟」を学ぶ

第一に自分で責任を負うことを学ばなければなりません。責任を負うとはどういう意味でしょうか。あなた自身ですべきことは、最後まで自分ですると言うことです。自分で方法を考えて自分で解決する。もう両親が出てきて、問題を解決してもらうことを期待してはいけません。もし両親に「大人」として扱ってほしければ、両親にいつも頼ってはいけません。

両親にお小遣いをいつもねだってはいけません。必要ならばアルバイトをして、お小遣いを自分で稼いでください。続けて両親にお小遣いをねだるなら、両親に「子ども扱いしないで」と言う資格は、あなたにはありません。お小遣いをねだるのは中高生の行動で、大人の行動ではないのです。

では何歳から大人ですか?私は18歳はもう大人だと思います。自分自身をよくケアーすることを学び始めるべきです。「自分の責任は自分で負う」と言うことは、もはや言い訳をする自由はないのです。「今の私が自信を持てないのは、小さい時から、母が私の意見を尊重してくれなかったからだ…」。大人として成熟した人は人のせいにはしません。今の自分のあり様を他の人の責任にはしません。

確かに、過去の経験が今日のあなたに大きな影響を与えていることは、私も理解できます。大人として成熟した皆さんは、今のこの状況をまず自分に問うべきです。「この問題を今、私はどう解決できるだろうか。」私の問題を過去のせいにするのでもなく、両親に責任を押し付けるべきでもありません。

実際に私の知り合いのもう40代になる人も「今の私が人を信頼できないのは、小さい時に両親が…」と話すことを聞くことがあります。こう話す人は、まだ大人として成熟していないのです。まだ自分の責任を完全に自分で担っていないのです。だから両親も彼らを信頼できず、子離れできないのです。

私たちが選択する責任を自分で負い、両親を安心させるのにも、時間が必要です。両親にとっても、子どもが大人として成長する過程を確認して子離れするのにも、時間が必要なのです。

3.両親も完全ではない

私たちは、子どもの頃に持ったような、両親に対する必要以上の期待を捨てるべきです。両親に完璧なメンタリティーを期待しても、それは非現実的です。私も母親として、子どもからの恵みが必要です。時に不完全な私をゆるしてもらう必要があります。

両親も話し方を間違えたり、誤った行動をすることもあるのです。子として、両親を理解し受け入れることが大切です。両親も不完全な存在だと理解しましょう。そのとき、私たちは両親をさらに愛し、ゆるし、寛容になれるのです。また心に憤りを溜め込むこともないのです。

もし皆さんが両親に自分の期待に応えてほしいと願うなら、あなたはまだ成長の途上です。まだ成熟には至っていないのです。

4.両親に期待しすぎない

いつも両親があなたを肯定してくれると期待し過ぎてはいけません。もちろん、親として子どもをいつも肯定すべきです。しかし成人した子としては、いつも両親が自分を支持することを要求してはいけません。大人として、感情面、情緒面で自立すべきです。両親がいつも応援団として、背後で応援することを期待してはいけません。両親が応援してくれたなら、それは格別な恵みになのです。しかし両親の応援が得られなくても、私がすることに賛成してほしいと要求してはいけません。

5.自立しよう

少しずつでも経済面に自立できるようにしましょう。自分の経済的必要は自分が責任を負う。あなたが経済的に自立するとき、両親は安心します。あなたが独り立ちできたと信頼を寄せるのです。

生活面の必要、洗濯も、家事の分担、自炊に関しても、自分から進んでやりましょう。私たちが十分に成長したと両親が実感できるときに、両親は「子離れ」ができるのです。あなたの意見を尊重し、あなたの決断に委ねてくれるようになります。

6. ゆるすことを学ぶ

『家庭で傷つく』という題の本がありました。私たちの心の傷の多くは、家庭での体験からきています。家族が無関心であったり、親が自分の感情をコントロールできないとき、子どもは傷つきます。深刻な心の傷となるケースもあるのです。

私が知っているある女性は、両親が小さい頃から仕事で海外に滞在し、親戚の家に預けられて育ちました。両親と会えるのは月一回だけ。彼女はお母さんを求める感情が常にあったのです。
彼女が3歳の頃、家の前の道路で近くの主婦たちが立ち話をしていました。話をする主婦たちの一人を見て、彼女は「あれ、ママかな?」と思い、すぐに通りに出て、その女性の足にすがりました。「ママ、ママ、お帰りなさい」。

周りの主婦たちは笑い出しました。彼女が足にすがりついた女性の顔を見上げると、どうも自分のお母さんではないようです。でも100%の確信がありません。彼女はほとんどお母さんと会う機会がなかったからです。

周りの大人は「あら、この子、自分のお母さんの顔もわからないの?」とても恥ずかしくなりました。その場で大泣きして、親戚の家に駆け込みました。

そのとき以来、心はいつも憂鬱でした。自分には価値がない。だからお母さんは会いに来てくれない。お母さんの顔すらわからない。この記憶が、彼女にとって大きな心の傷となりました。この女性は、自分の両親をゆるすことを学ぶ必要があったのです。

彼女の話を書きながら、皆さんも両親の言動に傷つけられた幼い時の記憶が思い出したかもしれません。

私たちはみな、ゆるすことを学ぶ必要があります。過去の傷を背負って生きる必要はありません。過去の傷からくる心の痛みから解放されるべきです。両親との思い出を心の牢獄に閉じ込め、思い出すたびにあなたを傷つけることがないようにしてください。私たちを傷つける出来事から解放されなければなりません。

7.ゆるしのための7つのステップ

ひとりになれる場所を探してください
少なくとも1時間、ひとりになって静まってください。

まず両親のことを神に感謝してください
この時間のために、ノートを用意してください。クリスチャンである方は、聖書も用意してください。この時間、まず両親が与えられたことを感謝してください。

両親が私を傷つけることを、神がなぜ許したか理由はわかりません。それでも感謝しましょう。聖書には「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画に従って召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となる」※2と書かれているからです。

両親のもとで傷ついた経験に、向き合う力を神が与えてくれるように祈りましょう。信仰をもってこう祈ってください。「神さま、私には理由はわかりません。それでも神さま、このような両親を与えてくださり、ありがとうございます。」こう祈ることは簡単ではありません。しかしぜひ祈ってほしいのです。祈ることで、神がこれからのステップを助けてくれます。

傷つけられた経験を書き出してください
書き出す内容はできるだけ具体的に書いてください。両親が語った言葉、記憶に残る深刻な出来事、思い出すだけで心砕かれる言動と具体的に書き出してください。

傷ついた心を神に祈りましょう
復讐したい気持ち、両親に思い知らせてやりたい心を神に祈り、委ねましょう。中には両親からの傷を受けた後、両親にずっと冷たい態度を取ってきたという人もいるかもしれません。両親から話し掛けられても、そっぽを向き、無視する人もいるでしょう。家に帰っても、目も合わせず、自分の部屋に閉じこもり、両親と話もしないかもしれません。

このような冷たい態度の背後には動機があります。反抗的な態度をすることで、両親に思い知らせてやりたい。両親にも自分が受けた傷を体験させたい。否定的な態度が、無意識のうちに出てきているのかもしれません。

皆さんの両親との受け答えは温かなものですか。それとも冷たく相手に報復を加えるものですか。もし冷えた態度であれば、心に両親に対する怒りや、ゆるせない感情があるのです。過去の記憶が心を縛り、冷淡になり、両親に報復しているのです。

今、両親をゆるすことを学びましょう。神に祈ってください。「神さま、心はあの時の傷でいっぱいです。両親にこれ以上、期待もできません。神さま、私を癒してください。私がかつて失ったものを回復させてください」。

今まで一度も両親から褒められたことがないのかもしれません。お父さんから抱きしめられた経験がないのかもしれない。これらのすべてを神に祈って、神に差し出すのです。

あなたの期待通りには、両親が接してくれなかった。それは両親も育った家庭で、正しく接してもらえなかったからです。両親も今、あるべき姿で、健全にあなたに接することができないのです。ここでの「ゆるし」意味は、神に癒してもらうことです。神に補ってもらうのです。傷つけた人に報復してはいけません。

親しい友人に分かち合いましょう
あなたが書き記したことを親しい友人に分かち合いましょう。話す友人は成熟しており、信頼できる人にしてください。過去の傷を友だちに分かち合うことは、心のゴミを掃除する助けになります。

両親に向き合う前に提案を聞いてください
もし両親に過去の心の傷を話す必要がある場合、まずは経験があり、成熟したメンター、「お兄さん」「お姉さん」的な人に会うと良いでしょう。彼らに話し、意見を聞いてみてください。ある内容はとても敏感で、相手に傷をもたらすものです。知恵深く話さないと、話したことでむしろ問題が深刻になることもあります。内容によっては、自分の心の中で解決するので十分であり、相手に話す必要がないものもあります。もし両親に話す必要がある時、あなたの信頼できるメンターとなる方の提案が、大きな助けとなるでしょう。

良い記憶で悪い記憶を置き換えましょう
私自身、ゆるすステップに取り組む時、悪い記憶は容易に思い出せます。反面、良い記憶は時間をかけて、ようやく1つと、思い出すのも難しいものです。これは人が持つ罪の性質によるものです。私たちは悪いことは際立たせ、容易に注意を向けます。一方で良い体験は見落としがちで、忘れやすいものです。

この時、良かった経験を思い出し、良くない記憶と置き換えましょう。皆さんが両親について考えるとき、新たな記憶習慣を実行してみてください。もともとの記憶読み込み方式は、両親を思うと、両親に傷つけられた記憶から呼び起こすものでした。この記憶読み込み方式を変えましょう。両親を思うとき、心温まる、素晴らしかった体験を思い浮かべるようにしてください。このことも、両親をゆるすのに助けとなる方法の一つです。

私たちの心が成熟し、両親をゆるすことを学びたいと願うとき、真の「親孝行」ができるようになるのです。

8.親孝行を学ぶ

皆さん、両親は感謝されることを待っています。両親は感謝されるニーズがとても高いのです。

ある老婦人がガンになり、医者から余命宣告を受けました。老婦人の残された地上での時間を、住み慣れた自宅で過ごすため、彼女は自宅に戻りました。老婦人の長男が同居し、看病をしました。

ある日、医師が「お母さんは今夜もつかどうかの病状です。」長男はすぐに弟に電話しました。弟は車で十数時間かかる遠方に住んでいました。弟が母の死に目に会えるのか…。弟は長男に言いました。「お母さんに伝えてくれますか。急いで帰るって」。長男が伝えた時、母は弱々しく頷きました。

その晩、長男が徹夜で母に付き添いました。だんだん母の呼吸が弱まりました。「今した息が、母にとって最後の息になるかもしれない…」。ひと呼吸した後、数秒は音が聞こえません。しかしまた呼吸をし出すのです。母の生きようとする力に驚かされました。

夜が開け、辺りが明るくなったころ、弟はようやく実家に到着しました。ドアを開けるなり「お母さん、まだ息がある?」ベッドに駆け寄ると、母はまだ呼吸をしていました。弟は母の手を握り、額にキスをして、こう話しかけました。「お母さん、ただいま帰りました。お母さん、愛しています」。こう聞いた母は閉じていた目をゆっくり見開き、残された力を振り絞り、微笑みながら、息子に向かって頷いたのです。弟は兄に向き帰り「お母さんがまだ生きていたなんで、信じられないよ」。でも次の瞬間、母は息を引き取っていたのです。

このお母さんの息子を愛する力、息子に最後に一目会いたい。最後に息子から「愛している」と聞きたいという願いが、彼女の命を最後まで支えたのです。

感謝の手紙

皆さん、もし皆さんが両親に愛を伝えることがなければ、両親は「愛している」という言葉を待っています。両親はあなたからの感謝の言葉を待ちわびています。愛を表現することは、あなたができる、最大の親孝行です。

よく考えて、両親がしてくれた感謝を書き留めてください。前章では両親から傷つけられたことを書くように言いました。しかし今度はノートに、両親があなたにしてくれた良かったことのリストを書き出してみてください。素晴らしかった記憶を書き出すのです。正式な感謝の手紙を、あなたにとって意義ある方法と瞬間に、両親に手渡してください。

以下に、私自身が母に送った感謝の手紙の一節を、皆さんに紹介します。私が書いた内容をよく読んでみてください。私がいかに明確に、具体的に書いたのかがわかるでしょう。小さかった時の具体的な内容を書きました。母も私の愛を感じ取ったと思います。

母への手紙

私の生涯で一番大切な影響を与えてくれたお母さんへ
多くの人が私を見て、良い家庭教育を受けたと感じるようです。お母さん、あなたの一挙手一投足が私に深い影響を与えました。小さい時に覚えているのは、私はいつも仕事帰りのお母さんを、家の門の前で待っていたことです。お母さんの姿を道の遠くに見つけた時、走っていって、お母さんの胸に抱き着きました。その温かい感覚が今でも私の心に刻みつけられています。お母さんが私をとても愛していることを感じていました。私が好きなおやつを知って、当時高かったクッキーを、職場からの帰り道、買って帰ってくれました。それは私にとって、驚きであり、喜びでした。今に至って、私自身も人にサプライズを与えるのが好きになりました。私自身にも、周囲にも「特別扱い」をしたくなります。それはあなたが人生を楽しむことを教えてくれたからです。

私の印象では、お母さんが休んでいる姿をあまり見たことがありません。忙しく働く姿を見てきました。家に帰っても、休まず掃除をし、片付けをする…。勤勉さの重要性を教えてくれました。あなたは私たち兄弟に、決して派手すぎない、一人ひとりに似合う服を用意してくれました。あなた自身もシンプルながら、おしゃれでした。お母さんの存在に、さりげない美しさを学びました。

小さい時から、私たちを教会に連れて行き、神を敬うことを教えてくれました。また父の救いのために祈る姿を見せてくれました。お母さんが聖書を読み、主に近づく姿を、この数十年来、よく見てきました。あなたの堅固で、真実な信仰により、私も神さまを求める心が大いに養われました。この信仰こそが、お母さんが私に残した最大の遺産です。

連絡を忘れない

最後に、すでに大人になった皆さんにひとつ提案をしたいと思います。ぜひご両親と連絡を取り合ってください。もう実家に住んでおらず、遠く離れた都市に住んでいるのかもしれません。電話やEmail、SNSでメッセージを送る時間を惜しまないでください。両親と密に連絡を取り合う心を持ち続けてください。子どもからの連絡こそが、両親が一番期待していることであり、両親を一番喜ばせることです。

9.言うは易し、行うは難し

この文書を読んで、皆さんは「そんなのできない」と思っているかもしれません。皆さんとご両親の溝が大きすぎて、両親に愛を表すことは無理だと感じていることでしょう。以前、大学生の皆さんにこの主題で話した時、よくこう言われました。「無理ですよ。両親と今までこんな話をしたことないですし…」。もしかすると皆さんとご両親の間の傷が大きすぎて、ゆるすことが難しいと感じるかもしれません。

もしあなたがまだイエス・キリストを知らないならば、ぜひこのイエスの言葉に心を留めてください。「それは人にはできないことですが、神にはどんなことでもできます。」※3 この愛と力に満ちた神が、あなたの人生をともに歩み、あなたが両親をゆるせるように助けてくれます。両親を責めたり、不満を言うことがないように助けてくれます。両親に愛と感謝を表し、親孝行できるように、神が助けてくれるのです。

もしこの神を知りたいと願うならば、こちらのページ から、キリストを個人的に知り、関係を築く方法を知ることができます。

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※1 【著者紹介】馮志梅 アメリカ・ハワイ大学看護学部卒。台湾キャンパス・クルセード・フォー・クライスト(中國學園傳道會)のスタッフ。夫である李長安とともに結婚家庭問題、親子関係に関する講演を台湾の大学、行政機関等で多数、行なっている。家庭問題に関するテレビ番組の司会者、FMラジオのパーソナリティー、結婚に関するコラムの執筆等で活躍中。

※2 ローマ8:28
※3 マタイ19:26