神の御国に投資する

私たちの持つ資産は、神から委ねられたものです。究極的には、神に所有権があります。私たちは、この地上で生きている間、神の資産を管理する「スチュワード(管理人・執事)」に過ぎません。良き管理人としてのあり方を「スチュワードシップ」と呼びます。

イエスもルカの福音書25章の中で、たとえ話で教えています。旅に出る主人が、3人の家の資産を管理する執事に財産を委ねます。5タラントを預かった執事は、もう5タラントをもうけます。2タラント預かった執事も、もう2タラントを稼ぎ出しました。

旅から帰ってきた主人は、この2人の執事にこう語ります。「よくやった。良い忠実なしもべだ。おまえはわずかな物に忠実だったから、多くの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。」※1

一方、1タラント預かった執事は、投資の失敗を恐れました。彼は、預かった資金をそのまま土に埋めて隠していました。清算のとき「悪い、怠け者のしもべだ」と叱責され、その1タラントも取り上げられてしまいました。スチュワードシップには、忠実さが求められます。

使徒パウロも管理人である執事の務めをこう語っています。「管理人に要求されることは、忠実だと認められることです。」※2

私たちはこの地上で、どうすれば忠実に、神の資産を管理できるのでしょう。

経済的束縛

今日、クリスチャンに対する最大の誘惑は、物質主義ではないでしょうか。私たちも知らず知らずに、この物質主義の世界の影響を受けています。

新聞やテレビ、Webでも、魅力的な金融商品の広告であふれています。SNSでは、友だちの充実した生活の様子が掲載され、ねたましく感じることもあります。子どもの教育費、老後の生活を考えると、不安になります。

この世界で、神への純粋な動機を持ち、忠実に資産を管理し続けることは、とても難しいことです。神は、あなたが経済的束縛から解放され、資産管理の面でも、神を第一にする生活をすることを願っています。

確かに生活をする上で、お金は必要です。神はここで「人生を楽しんではならない」と言っているわけではないのです。イエスもクリスチャンが豊かで、意義深い人生を送ってほしいと願っています。

でもぜひ、考えてもらたいのです。あなたは経済的なことのために、どれだけの時間と労力を使っていますか。

神の御国のために投資するとき、神は何倍もの霊的な祝福を与えてくれます。物質主義にとらわれず、神から委ねられた資産を忠実に管理することこそ、私たちの生きる意義です。

ここでは物質主義から心が守られ、神の管理人として忠実に仕える続けるための具体的な提案をお話しします。また、神の御国に投資する6つの提案もお伝えします。

1.神のみこころによる投資

金銭に関する神のみこころは、神秘的なものではありません。とても具体的なものです。聖書的な資産管理の原則に従うとき、神の計画の全体像がわかってきます。神の計画に基づいて決断するとき、経済的な束縛から解放されます。

私たちが資産運用について決断するときも、聖書が語る「思慮分別の原則」を用いると良いでしょう。「神は私たちに、臆病の霊ではなく、力と愛と慎み(思慮分別)の霊を与えてくださいます。」※3

ここで語られた「思慮分別の霊」とは、聖霊の導きの中でバランスのとれた心のことです。あなたの時間、才能、財産をどのように使うかも、特別な導きがない限り、この「思慮分別の霊」の原則を用いて、決定してください。また、聖書的な原則によって献金をする先輩クリスチャンの助言も聞いてみてください。

※「思慮分別の原則」に関しては『神のみこころを知るには』をご覧ください。

神の導きによる備え

しかし人生には、この「思慮分別の霊」による聖書的判断基準も、人からの助言も役に立たないような場面に出くわすこともあります。そのとき、どのような道を選ぶべきでしょうか。自分の決断が正しいのか、間違えているのか、どのようにしたら判断できるのでしょうか。

どう歩むべきかわからないときにも、神の導きは必ずあります。使徒パウロはこう教えています。「キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようになりなさい。そのために、あなたがたも召されて一つのからだになったのです。」※4 この約束の意味は何でしょうか。

心の平安は、神から与えられる贈り物です。また、私たちへの召しでもあります。聖霊は、あなたの心に平安を与えます。

聖書の約束を受けることで、心が安心で満たされます。困難な状況であっても、正しい決断をし続けるならば、心は平安で満たされます。しかしあなたの行動が神の計画と一致していないときには、心は落ち着かず、不安を感じることでしょう。

経済的な決断をするときも、神のみこころを求めましょう。聖書的な原則に基づいて行動し、内なる平安によって判断して、決断していきましょう。

2.財政面での「霊的呼吸」

真の経済的自由を得るには、霊的な健康が必要です。長年にわたり、私は「霊的呼吸」の原則を多くのクリスチャンに教えてきました。「霊的呼吸」とは、罪を告白することで、心の不純物を吐き出すことです。

聖書はこう約束します。「もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。」※5

罪を告白するとは、神があなたの罪を指摘するとき、その神の視点に同意することです。自分の罪は間違っていて、神が悲しんでいる事実に同意します。

そしてイエスの死と十字架の血で、神がすでにあなたの罪をゆるしたことを認めて、神に感謝しましょう。

告白には、罪に対する態度を改めることも含まれます。もうその罪はもう犯さないと決心して、聖霊の力によって、罪から方向転換し、自分の行いも改めるのです。これを「悔い改め」と呼びます。

神の命令[エペソ5:18]と神の約束[1ヨハネ5:14,15]に基づいて、信仰によって聖霊で満たされてください。神の義を心に吸い込むことだと、私は理解しています。神が、あなたの人生に方向を与えることに期待してください。神があなたを導き、力を与えるように働きかけることを期待してください。

霊的呼吸は、あなたの霊的健康を維持します。同時に、あなたに経済的自由を与えるものです。

※霊的呼吸に関しては、こちらの『神の愛とゆるしを体験するには』の記事をご覧ください。

資産運用の霊的呼吸

あなたが所有する資産はすべて、神があなたに委ねたものです。その資産をただ自分のものだと考えてはいませんか。自分で稼いだのだから、自分の思う通りに使いたいと考えてはいませんか。

資産を神にささげることを惜しむ罪があるなら、今、告白しましょう。この告白によって、息を吐き出すことができます。

そして、あなたの財産ばかりでなく、時間や才能のすべても、神にささげられたものであることを認めてください。神が委ねた豊かな祝福を、周囲の人々に分かち合いましょう。ささげることで、あなたは息を吸い込むことができるのです。

この単純な信仰的な行動が、人生のすべての領域で「神の所有権」を宣言することになるのです。

3. 財務計画をつくる

あなたの家庭の財務計画を作ることは、何にどれくらいの額を支出するべきかを決断する上で、決断する枠組みを与えてくれるものです。財務計画は、衝動的に不要ものを買うことから守ってくれます。

財務計画を作成することは、それほど難しいことではありません。まずは家計簿をつけることから始めましょう。必要なもの、ほしいもの、購入すべきもののリストに書き出してください。そのリストに、優先順位をつけましょう。支出を管理するため、中長期の目標を決めて、優先順位を決めて、予算書を作ってください。

予算を立てることは、無駄なものを買う前に、本当にそれを購入するべきかを再検討する機会を与えます。支出を抑え、適切な生活水準を維持し、効果的に家計を管理する上で、予算計画を立てることは助けになります。

そのうえで、予算を執行する上での健全な支出の方法をいくつか提案します。

予算内で生きる

予算を立てる上で、まず毎月の家計の出費を計算する必要があります。生活費、保険はもとより、休暇やクリスマスなどの特別な出費への積み立て、子どもの教育費、老後の蓄えなど、長期的な必要も計算に入れる必要があります。

予算が決まったら、予算内で生活するようにしましょう。もちろん、景気など経済状況の変化に対応するため、随時、予算を調整する必要があるかもしれません。

予算より多くの収入を得たときは、「余剰金」にします。例えば、11月に賞与を受け取りながらも、すでに今の収入で予算がカバーされているなら、神は宣教の働きに献金するため、その「余剰金」を与えたのかもしれません。

家計の支出以上に給料を得たときも、「余剰金」として扱うと良いでしょう。まず今の給与水準で、家族を経済的な祝福の中で養うことができる予算を立てましょう。家計に予算的な制限を設けることで、無駄使いから守られます。「余剰金」を宣教のための献金にまわすことができるのです。

しかし生活ができないほどに、予算を低く設定する必要はありません。ぜひ豊かに生活できるような予算を立ててください。神に用いられる人は、予算の制約の中でも、豊かな生活をしているものです。

給与が増えれば、自分で使える金額も多くなります。家庭の必要を満たし、献金をささげても、なお余剰があるように、神はあなたを経済的に祝福したいと願っているのです。

この世の経済的価値観で縛られないでください。宣教のために献金をささげることは、天に宝を蓄える「投資」なのです。

4.ローンを管理する

スチュワードシップとは、効果的に「債務」を管理することでもあります。「債務」には、クレジットカードの支払いや住宅ローン、学資ローンや貸与型奨学金の返済も含まれます。

パウロはこう語ります。「だれに対しても、何の借りもあってはいけません。ただし、互いに愛することは別です。」※6

牧師の中には、この聖書のことばから「人からいかなる借金もしてはいけない」と教える人もいます。しかし、私はそうは思いません。

若い夫婦が家を購入するのに、住宅ローンを組むことでしょう。また車など大きな金額のものを購入するのも、大学の授業料もローンを組んで、支払います。

現代社会は、キャッシュレス社会です。オンライン決算が主流です。クレジットカードや電子マネーがないと、決算ができないこともあります。

ただローンの危険は、無計画に借金を繰り返すことです。クリスチャンに支払い不能なほどの多額な借金を背負い込ませることが、悪魔の狙いです。多額の借金額で心配や絶望に陥れ、束縛するのです。 ローン地獄に陥ると、自暴自棄になり、失望からすべてを放棄し、人生で実を結ぶことができなくなります。

忠実な管理者は、自分の資産をよく管理します。支払い能力を超過してまで、借金はしません。

5.神の御国に投資する

クリスチャンの皆さん、ぜひ伝道・弟子づくりの働きのために献金することを考えてみてください。たとえ、あなたの所得が少なくても、がっかりしないでください。

神は、あなたの献金の額面を見てはいません。むしろ神は、あなたの献金が全収入のどれくらいの割合かを見ています。

ある未亡人は、当時小銭と見なされた金額、2ミナだけをささげました。しかし、イエスはこの未亡人の少額の献金を評価しました。

犠牲をもってささげる献金を、神は喜びます。神は人々の必要を満たすため、あなたのささげる献金の価値を、超自然的に倍増させることができるのです。

私たちがささげる献金も、神から受けた祝福の一部です。神から受けた祝福からささげる献金でさえも、神は喜びます。まだイエスを知らない何百万人もの人々に福音を届けるために、戦略的にその効果を考えて、献金をささげてください。

十分の一

皆さんに提案したいことがあります。ぜひ収入の最低10%を、神の働きにささげてください。あなたに委ねられた所得を用いて、神を礼拝し、神に栄光をささげましょう。収入の十分の一を目安に神に献金をささげることは、スチュワードシップの現実的な出発点です。

収入の10%を献金することを「什分の一献金」と呼びます。一般的に多くのクリスチャンが、この方法で献金をささげています。「什分の一」とは、全収入の十分の一を意味します。収入の10%を目安に、神の働きのために献金をささげてみてください。

収入の10%、さらにプラスして献金をすることは、イエスが語った大宣教命令に従う生き方です。毎月「月定献金」をささげることは、スチュワードシップにおいて大切な要素です。

神は旧約聖書の律法の中で「什分の一献金」を定めました。新約時代に生きる私たちはもはや、律法の下にはいません。恵みによって、生きています。

あるクリスチャンは新約時代の今「什分の一献金」をする必要はないと考えています。しかし律法のもとで、イスラエル人が収入の十分の一をささげたのなら、恵みによって生きる私たちはもっと多くを神にささげるべきではないでしょうか。

確かに、新約の時代に生きる私たちは、収入の10%を献金する義務はありません。私も同意します。しかし、自発的に収入の10%をささげることは、献金生活の良い出発点になることでしょう。

なぜ収入の10%か?

まだイエスを信じて間もない友人が、牧師にこう質問しました。「神に収入の10%をささげる必要はあるのでしょうか。神は5%では満足しないのですか。」

すると牧師はこう答えたそうです。「もし神があなたに、人に比べて50%の祝福しかくれなかったとしても、あなたは満足できますか。」

もし旧約時代のユダヤ人が律法の規定で献金をしたのなら、今、恵みのよって救われた私たちは、さらに多くの感謝を、神にお返しするべきではないでしょうか。

キリストは十字架の上で、最大限の犠牲を払ったのです。私は「月定献金」を論じるとき、少なくても収入の十分の一を、神の働きのためにささげることをお勧めしています。それは律法や宗教的な要求ではなく、神が与えた恵みに対する感謝の表現です。心からささげてほしいのです。

神があなたに与える祝福は「収穫の原則」に基づいています。「収穫の原則」とは、私たちが信仰の畑に蒔いた種から、時期が来たとき、収穫を刈り取るというものです。

使徒パウロはこう語っています。「私が伝えたいことは、こうです。わずかだけ蒔く者はわずかだけ刈り取り、豊かに蒔く者は豊かに刈り入れます。」※7

主の働きのために少ない額を献金することは、預言者マラキが語るように「神の資産を奪い取る」ことになるのです。マラキ書ではこう書かれています。

「人は、神のものを盗むことができるだろうか。だが、あなたがたはわたしのものを盗んでいる。しかも、あなたがたは言う。『どのようにして、わたしたちはあなたのものを盗んだのでしょうか』と。十分の一と奉納物においてだ。十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしを試してみよ。…わたしがあなたがたのために天の窓を開き、あふれるばかりの祝福を注ぐかどうか。」※8

献金を惜しむ人々を、神は戒めています。忠実なスチュワードシップによって資産を管理する人に、神は特別な報いを与えます。預言者ハガイは、ユダの指導者たちにこう語りました。

「万軍の主はこう言われる。『この民は、時はまだ来ていない。主の宮を建てる時は、と言っている。』」※9

神は続けてこう語ります。「この宮が廃墟となっているのに、あなたがただけが板張りの家に住む時だろうか。…あなたがたの歩みをよく考えよ。多くの種を蒔いても収穫はわずか。食べても満ち足りることはなく、飲んでも酔うことがなく、衣を着ても温まることがない。金を稼いでも、穴の開いた袋に入れるだけ。」※10

このような体験はあるでしょうか。まるで経済的な「踏み絵」を踏むかどうかを、迫られているようです。一生懸命働いているのに、成果が出ません。絶えず水漏れが続いているように、銀行口座から預金残高が減っていくのです。

神は変わることがない方です。ハガイの時代、ユダの人々はエルサレムに神殿を再建して、神の臨在がこの地上に現されることを、最優先の仕事として取り組みました。今の時代、神の教会が成長し、福音が広がることで、神の臨在がこの世界で拡大します。教会やクリスチャンたちが伝道と弟子づくりに貢献するときに、神の臨在が広がっていきます。

ぜひ、以下の質問について考えてみてください。

●私がこの世界でできる、最大の貢献とは何だろうか?

●人を助ける上で、私が最大限貢献できることは何だろう?

●福音が広がるため、今日、神が最も優先していることは何だろうか?

●世界中に福音が広がり、大宣教命令が成就する働きのために、神はこの私に何を期待しているだろうか?

●伝道と弟子づくりの働きのために、私が献金をささげることを神は期待しているだろうか?

●献金をする機会を無視する私を、神は喜ぶだろうか?

●私の資産管理に関して、神は喜んでいるだろうか?

●私の資産管理について、神は今、何を語っているだろうか?

私たちは確かに、恵みの時代に生きています。しかし預言者ハガイが語った原則は、今でも適用できるものです。

神に栄光を帰する

人生の究極的な目的とは何でしょうか。それは「神の栄光を現し、永遠に神を楽しむことです。」

神の栄光を現すために、具体的に何をしたら良いのでしょうか。イエスはこう語ります。「あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになります。」※11

つまり、クリスチャンの最重要課題とは「主イエス・キリストの福音を人々に伝える働きに、自分の時間と才能、資産をどれだけ投資できるのか」なのです。

確かに、私たちは恵みの時代に生きています。聖書を誤用したり、乱用したりしてはいけません。聖書を自分を正当化するために用いてはいけません。義なる神の導きに敏感になりましょう。いつも神に従う心を持ちましょう。

従順こそが鍵

人生のあらゆる領域で、私たちは神の命令に従う必要があります。従順こそが、キリストの臨在と天国の喜びを体験する鍵です。

イエスはこう語ります。「わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛している人です。わたしを愛している人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身をその人に現します。」※12

あなたは人生の中で、イエスの臨在を体験していますか。キリストの喜び、愛、平安、導きを体験していますか。もし今それらを体験していないのなら、あなたは神の命令に従っていないのかもしれません。

神の働きのために献金をすることをやめるなら、神はあなたを祝福することができません。あなたは人生で実が結ぶことができず、あなたの生涯は不幸なままです。

私にとって、自分が福音を伝えるために用いられるほど、大きな喜びを感じることはありません。神の器になるには、自分に委ねられた資産の管理も必要です。健全なスチュワードシップが鍵となります。究極的には、あなたが持つもので、自分で所有する物は何一つないのです。

クリスチャンは、主イエスの血という代価で買い取られました。私たちの時間、才能、賜物をささげることは、父なる神への感謝の表現です。神が私たちにご自身の臨在を現すからです。

「しかし私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。今私が肉において生きているいのちは、私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、神の御子に対する信仰によるのです。」※13

愛ゆえの戒め

恵みのうちに生きる私たちにとっては、その持ち物はすべてが神のものです。私たちは律法の要求ではなく、神への愛と従順、礼拝の行為として献金をささげます。

献金をささげないことは、神を悲しませることです。私たちが自分の資産を管理しないことも、神に背くことです。神はご自分の子どもである、クリスチャンを愛しています。

私たちが不従順なとき、神は恵みのうちに、戒めを与えることもあるのです。不忠実な管理人は、主人から戒めを受けることを覚悟しなければなりません。

私は、息子たちを心から愛しています。今でも、初めて子どもたちを抱きしめたときのことを思い出します。今でも大人になった息子たちを抱きしめるとき、私の心は溶けてしまうほどです。

しかし、彼らがまだ小さかった頃、ときに息子たちを叱ることもありました。息子たちを叱るとき、私は彼らを愛していることを必ず伝えました。そして今、愛のゆえに叱っていることも説明しました。

息子を叱ったあとで、なぜ私が叱ったのかを理解させるために、息子たちにこう質問したものです。「パパがなぜ叱ったのか、わかるかい?」

息子は涙を流しながら、こう答えました。「それはパパが、僕を愛しているからだよ。」

息子を叱ったからといって、私の息子への愛が薄れたわけではないのです。むしろ、息子への愛は深まりました。

管理者としての従順

スチュワードシップにおいても同じことが言えます。月定献金をささげる以上に、別な支出を優先させてはいけません。

私たちは恵みのうちに生きています。神に愛されている存在です。十字架と復活、聖霊の内在も与えられています。旧約時代の信者とは、比べられないほどの祝福も受けています。

神への責任を果たそうとしないことは、神の恵みを誤解しているからです。神は月定献金をささげることを語りました。私たちの所有物はすべて、神からの贈り物です。感謝と愛の表れとして、神に委ねられたものの一部を、神に返さないことは不従順です。

マラキの原則

旧約聖書のマラキ書には、収穫の十分の一を忠実にささげるとき、神は豊かにイスラエルを祝福することを約束しています。今日も定期的に「什分の一献金」あるいはそれ以上の額をささげる人を、神は豊かに祝福します。

新約聖書でもこう語られています。「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、刈り取りもすることになります。」※14

この一節は、聖書を教える教師の生活を支えるという文脈で書かれています。月定献金をささげるという従順は、あなたの心の土壌に実りをもたらします。神があなたを祝福するからです。

これが、預言者マラキの原則の精神です。

月定献金の三つの意義

月定献金をささげることは、神の恵みに対する感謝の表現です。月定献金には、以下の3つの前提があります。

第一に、月定献金をささげることは、私たちの所有物のすべてが神のものであることを認めることです。また今の私たちの所有物はあくまでも、神に委ねられた祝福に過ぎません。最終的な所有権は、神にあること認めるべきです。

月定献金は、無計画な寄付とは違います。収入の十分の一を目安に月定献金をささげることで、昇給や賞与などの収入の増加分も、神が創造されたものであることを認めることができるようになります。

第二に、月定献金は自発的な神への礼拝です。創世記28章で、ヤコブはベテルで野宿した際、神からの夢を見ます。神の約束に感謝したヤコブは、こう語っています。

「神が私とともにおられて、私が行くこの旅路を守り、食べるパンと着る衣を下さり、無事に父の家に帰らせてくださるなら、主は私の神となり、石の柱として立てたこの石は神の家になります。私は、すべてあなたが私に下さる物の十分の一を必ずあなたに献げます。」※15

まだ月定献金をささげたことがない方は、神への礼拝として収入の十分の一を献金することを考えてみてください。月定献金をささげることで、父なる神に心を向けることができます。神のやさしさと寛大さを体験することができます。

第三に、月定献金をささげることは、経済面でも神を第一とすることです。モーセはこう語っています。「あなたは毎年、種を蒔いて畑から得るすべての収入の十分の一を、必ず献げなければならない。…あなたが、いつまでも、あなたの神、主を恐れることを学ぶためである。」※16

月定献金をささげることで、体系的で、一貫性をもった財務計画を立てることができます。献金を回避したくなる誘惑から、自分を守ることできます。

月定献金は、神を財政面での優先順位の第一位に置くことです。神を優先することで、物質主義の圧迫から解放され、神の豊かな祝福を受けることができます。

まず試してみては…

長年、キャンパス・クルセードのアフリカ南部の責任者を務めたドン・マイヤーズは、妻のスーとともに、この月定献金の原則を人生に適用してきました。その結果、何が起こったのでしょう。

「まだクリスチャンになったばかりのころです。スーと私は、献金の計画を立てました。実は当初、収入の10%をささげる勇気がなくて、毎年1%ずつ献金額を増やしていくことにしました。

当時の私たちの献金は、収入全体の4%でした。10%まで、毎年1%ずつ増額させると6年が必要です。1%ずつ増額する計画を初めの2年間、試してみました。

3年目、献金を収入の6%から、献金額をいっきに10%に引き上げることにしました。意外と、献金額を収入の10%に増額する決断は簡単でした。むしろ10%を献金するようになったら、経済的な解放感を味わいました。夫婦関係も安定しました。私たちは、献金額をさらに引き上げることにしました。

1968年から1972年まで毎年、キャンパス・クルセードのスタッフとしての収入の10%を超えた金額を、献金としてささげました。

そして1973年、私たちはアフリカに宣教師として派遣される準備をしていました。その年のスタッフ研修で聞いたメッセージが、私たちの人生を大きく変えました。研修会の講師は、経済危機への最善の対策は、ささげる献金額を上げることだと語ったのです。

この献金増額の原則を夫婦で祈り、検討しました。私たちはアフリカに赴任したあとも、この原則に従い、献金額を増額しました。

私たち夫婦のアフリカでの奉仕の16年間、6回もの深刻な財政危機に陥りました。そのたびに、信仰によって献金額を増額しました。その都度、神は財政危機を解決しました。アフリカを離れる頃には、私たちの月定献金の額は、収入の38%に達していました。」

全領域の十分の一

十分の一の原則は、献金以外にも適用できます。あなたの時間や才能にも、この十分の一を神にささげる原則を適用できます。

自分の時間の10%を神にささげても、負担には感じません。多くのクリスチャンはすでに、全時間の10%よりも多くの時間を神にささげています。

あなたの時間と才能を、神にささげる機会は無限にあります。あなたには歌う才能がありますか。楽器を演奏しますか。お菓子づくりはどうでしょう。あなたは経営者ですか。大学教授、秘書、保育士、大工、造園業、エンジニア、デザイナー、文書の校正、ソーシャル・メディア、マーケティング、SE、簿記・会計の専門家でしょうか。

神の栄光のために、あなたの才能をどのように用いたら良いのかを、神に教えてもらいましょう。キリストのために、あなたの時間や才能を投資する機会を、牧師や宣教団体のリーダーに確認してみてください。

まずは週数時間、あなたの時間と才能、財産を神にささげてみるのは、どうでしょう。神は、あなたのささげた才能を倍増させて、用いてくれます。あなたの才能や時間が、世界中の傷ついた人々に祝福を与えることができます。あなたを用いる神を体験することは、ワクワクする特権なはずです。

6.御国への生前贈与

私たちの所有物はすべて、神のものです。なぜ今、私たちが自分の資産を占有できるのかというと、神が一時的にそれらを私たちに委ねてくれたからです。

私たちが死ぬとき、地上の財産を天国に持って行くことはできません。私たちが残す遺産は、この地上に残して行かなければなりません。神にゆだれられた財産は、あなたの子孫が相続することになるのです。

場合によっては、滅多に会うことがない遠い親戚や行政が、あなたの遺産を受け継ぐこともあります。端的に言うと、あなたの相続人が、あなたの資産を使うことになるのです。

クリスチャンは勤勉なので、一生懸命働き、生きている間も無駄遣いをせず、資産を残すものです。しかしあなたの遺産を相続した人が、誠実であると言えるでしょうか。

また、遺産相続のために、子どもたちの間に遺産を巡って争いが起こることもあり得ます。また肉親に、あなたの財産を相続できるお子さんがいない場合もあるでしょう。

忠実な管理人は、まずは家族の現在と将来の必要を満たすために働くものです。しかしそれでも余る部分は、貯蓄に回します。普通、資産は利回りが良い金融商品や不動産などに投資するものです。しかし忠実な管理人は、自分がまだ生きている間に、資産を神の働きのために投資するのです。

御国への生前贈与

弁護士を務める私の友人が最近、ある女性資産家の遺言執行人に任命されました。その女性は自分の死後、遺産をキリスト教宣教団体に寄付する旨を、遺言にしておこうと考えいました。

私の友人は彼女に、死後ではなく、自分が生きている間に献金することを提案しました。献金がどのように用いられたのか、生前に自分の目で確認できることがどれだけの恵みであるかを、彼女に説明したのです。

2人は一緒に祈り、神の御国のための投資計画を作成しました。私の友人の助言を得て、彼女は資産を宣教の働きのためにささげました。

宣教師や宣教団体、経済的に困難な教会、キリスト教主義の学校に、彼女は生きている間に、遺産を寄付したのです。神は彼女の献金を豊かに用いて、彼女を祝福しました。彼女は晩年、献金がどう用いられるのかを直接目撃するという、最も刺激的で実り多い体験をしたのです。

「私は子孫に残せるほどの資産はないから…」という方も、この神の御国への生前贈与を考えてみてください。神は、私たち一人ひとりの状況をよくご存じです。あなたにも神の御国に効果的に投資できる資産計画を、神は持っているかもしれません。

資産を受け継ぐ子ども世代に、あなたの財産を委ねることも良いことです。同時に、遺産相続できるお子さんや親戚がいないという方もいるでしょう。むしろ子ども世代に遺産を残したら、子どもたち同士で争いが起こる可能性を恐れる方もいるでしょう。

相続で次の世代に遺産を任せる方法もあります。同時に、神が導かれる方法で、あなた自身がご自分の遺産の用い方を決めることもできるのです。

献金に関する具体的な情報は、クリスチャンの弁護士、公認会計士、ファイナンシャル・プランナー、信託管理人に相談してみてください。行政や家庭裁判所に遺産の分配を任せるのは、あくまでも最後の手段です。

忠実な管理人

スチュワードシップのあり方を、6つのポイントで具体的に説明してきました。

①神のみこころによる投資
②財政面での霊的呼吸
③財務計画をつくる
④ローンを管理する
⑤神の御国に投資する
⑥御国の生前相続

この6つは、この高度に発展した資本主義社会の中で、物質主義から私たちの心を守る神の知恵です。すべては難しくても、できるところから試してみてください。資産を忠実に管理するとともに、私たちの心がいつも神の前でふさわしく歩むことできるように、守ってくれるものです。

「わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛している人です。わたしを愛している人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身をその人に現します。」※17

ぜひ、神の御国に投資することを積極的に検討してみてください。あなたは自分に委ねられた経済的祝福を分かち合うことで、多くの人々をキリストのために勝ち取り、弟子として生きる助ける働きに携わることができるのです。

そしてイエスご自身が、あなたの人生に現されることを体験することでしょう。

[著者紹介]ビル・ブライト(1921-2003年)実業家であり、フラー神学大学院の大学院生であったビル・ブライトは、将来社会を導くリーダーに福音を届けるビジョンをもって、妻のヴォネットとカルフォルニア大学ロサンゼルス校で伝道を開始。このムーブメントが全米、世界各国に広がった。ビルとヴォネットは、国際キャンパス・クルセード・フォー・クライストの創設者であり、長年総裁を務めた。多くの著書、小冊子が多数ある。本稿はビル・ブライト博士のメッセージ “How You Can Experience the Joy of Giving”の日本語短縮版。

脚注:(1) マタイ25:21 (2) 1コリント4:2 (3) 2テモテ1:7 (4) コロサイ3:15 (5) 1ヨハネ1:9 (6) ローマ13:8 (7) 2コリント9:6 (8) マラキ3:8 (9) ハガイ1:2 (10) ハガイ1:4-6 (11) ヨハネ15:8 (12) ヨハネ14:21 (13) ガラテヤ2:19-20 (14) ガラテヤ6:7 (15) 創世記28:20-22 (16) 申命記14:22,23 (17) ヨハネ14:21

こちらの記事もご覧ください
『月定献金とは何ですか』
『献金の聖書的意義』
『神のみこころを知るには』

聖書:新改訳聖書2017©️2017新日本聖書刊行会


●個人学習のために

1.聖霊にあなたの経済的な優先順位を決めることを助けてくれるように、祈ってみてください。経済的な優先順位を書き出し、支払いのときや、会計簿をつけるときに見直してみてください。

2.今、宣教の働きに献金をしていますか。もしささげているならば、今の献金があなたの決めた経済的優先順位を反映したものですか。

3.生活のどの分野で、あなたは貪欲になったり、物質的なものを追い求めたいという欲望を感じますか。貪欲や購入欲、所有欲は、あなたと神との関係にどのような影響を与えていますか。


●グループ・ディスカッションのための質問

1.マタイ25:14-29のイエスのたとえをグループで学んでください。この箇所から良い管理人と悪い管理人の特徴を書き出してください。この箇所は、今日の私たちの生活にどう適用できるでしょうか。

2.あなたが献金をささげるとき、献金額を少なくするように、悪魔が誘惑することはありますか。もしあれば、具体的に分かち合ってください。この誘惑にあなたはどう打ち勝つことができますか。


●『伝わる概念』シリーズ
生き生きとしたクリスチャンとして、以下の概念をまず自分のものとして、次の人に伝えてあげてください。

1. イエスの独自性
2. クリスチャンである確信を持つためには
3. 神の愛とゆるしを体験するには
4.聖霊に満たされるには
5. 聖霊に満たされて歩むには
6. 伝道で実を結ぶには
7. イエスを友だちに紹介するには
8. 大宣教命令を成就するには
9. 信仰によって愛するには
10. 確信をもって祈るには
11. 献金の聖書的意義
11. 神の御国に投資する(本稿)
11. 聖書的資産運用 ⇦次は