聖霊に満たされて歩むには

あなたはもう「霊的呼吸」を実践し始めているでしょうか。イエスに信頼する人たちには豊かで、実りある人生が約束されていますが※1、そのカギとなるのが霊的呼吸です。頭で理解するだけではなく、心のなかでの肉(自我)と御霊(聖霊)の動きに敏感となり、シンプルに、誠実に、霊的呼吸を続けていきましょう。このことが安定した霊的生活の基盤となるからです。

聖霊に満たされていれば、人生に問題がなくなるというわけではありません。つらい病気、大切な人との死別、経済的苦境など、このような種類の問題はだれにでも起こりうることですし、中傷やいじめなど、他の人の罪深い行為の結果としてもたらされる問題もあるでしょう。神に従うか、それとも自分の願いに従うかという「内なる葛藤」も体験することでしょう。

けれども、聖霊に満たされて歩み続けることで、このような人生の問題に向き合う神の力を体験できます。1ペテロ 5:7 には「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです」とあります。

神に人生の重荷を負ってもらい、問題の解決者となってもらうなら、人生のさまざまな問題のなかでも、あなたは神の子どもとして成長させられ、神の栄光をあらわす人生を送ることができるでしょう。

霊的呼吸をして聖霊に満たされて歩むという概念は、決して難しいものではありません。しかし、あなたが最後まで聖霊に満たされ、神の栄光をあらわす人生を送ることができるよう、4つの重要なポイントについてお話ししましょう。

1. 確かに聖霊に満たされていますか

すべての人の心には「王座」(中心でおさめる存在)があります。クリスチャンの心の王座は、自分(自我)かイエスかのどちらかが占めています。心は自我とイエスの両方に仕えることはできません。聖霊に満たされるとは、自我ではなく、イエスに心がおさめられ、導かれることです。

「だれも、二人の主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛することになるか、一方を重んじて他方を軽んじることになります。あなたがたは神と富とに仕えることはできません。」※2

どのように聖霊に満たされるかを知っていても、または聖霊に満たされて歩む生活が長くなったとしても、ふとしたことで、心の王座を自我が占めていることに気づくことがあるかもしれません。その時には、立ち止まり、ふり返り、自分の心を正直に見つめてみましょう。どのようなもの(悪い感情や動機など)が出てきたとしても、神の恵みを覚え、新たな気持ちで、霊的呼吸を実践しましょう。

クリスチャンは神の子どもとされ、聖霊が心に住んでいるという点では霊的な存在です※3。しかし罪を重ね、不信仰な態度を持ち続けると、霊的な存在にふさわしくない「肉に属するクリスチャン」となってしまいます※4。ですから、自分の心を誰がおさめているのかに敏感になり、生涯ずっと、イエスに心の王座を明け渡し生きていきましょう。

2. 霊的戦いの備え

クリスチャンには、目には見えない現実の戦いがあります。聖書はクリスチャンに戦いを挑む3つの力について教えています。この3つの力とは、「世」「肉」「悪魔」のことです。

世とは神から離れた、この世界の生き方や価値観のことです。世のとりことなるなら、神の働きに豊かに用いられることもないでしょう。たとえば「富」について考えましょう。お金や経済的成功は悪いことではありません。しかし「神の国とその義とを第一にする」※5 ことを忘れ、地上に富を蓄えることを人生の第一目的とするならどうでしょう。そこに神への愛はあるでしょうか。

「あなたがたは世も世にあるものも、愛してはいけません。もしだれかが世を愛しているなら、その人のうちに御父の愛はありません。すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢は、御父から出るものではなく、世から出るものだからです。世と、世の欲は過ぎ去ります。しかし、神のみこころを行なう者は永遠に生き続けます。」※6

肉とは生まれながらの罪深い性質のことです。肉の性質は生きている限りなくならず、いつも聖霊の働きに逆らおうとします。ですから、聖霊に満たされて歩むときに、肉との戦いに備える必要があります。

「肉の望むことは御霊に逆らい、御霊が望むことは肉に逆らうからです。この二つは互いに対立しているので、あなたがたは願っていることができなくなります。」※7

これは成熟したクリスチャンでも、誘惑に対して罪に走る可能性があるということです。誘惑そのものはあなたの罪ではありませんが、誘惑について思いを巡らすうちに欲となり、神への不従順の行為となるので注意が必要です※8。

あなたが誘惑されやすい領域は何ですか。お金、性、プライドは代表的なものです。自分の弱点をよく理解し、誘惑に陥りにくい環境をつくることも大切です。強い誘惑は試練ですが、あなただけの体験ではありません※9。聖霊に満たされ、イエスに心をおさめてもらい、誘惑に負けないよう祈り求めましょう。火は小さいうちに消すなら火事にはなりません。自分の肉との戦いに敏感となり、謙遜に霊的呼吸を続けましょう。神は真実な方です。あなたも神の力で肉との戦いに勝利できます。

「私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、肉の欲望を満たすことは決してありません。」※10

悪魔(サタン)

悪魔は現実の敵であると聖書は教えています。疑いの火矢のような攻撃をしてくることもあれば、もっと抜け目のない策略を通して、私たちが信仰によって歩かないよう邪魔をしてきます。

「身を慎み、目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、吼えたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。堅く信仰に立って、この悪魔に対抗しなさい。ご存知のように、世界中で、あなたがたの兄弟たちが同じ苦難を通ってきているのです。」※11

あなたは悪魔と聞いて恐れを抱くでしょうか。確かに自我が心をおさめているのなら、恐ろしい存在です。しかしイエスがおさめているのなら、恐れることはありません。イエスは悪魔より、はるかに力ある方だからです※12。

悪魔は神の前で敗北が確定しており、その影響力には制限があります。おりの中で歩き回るライオンがこわくないように、自ら悪魔のおりに近づくことがない限り、恐れる存在ではないのです。

聖書は「悪魔の策略に対して堅く立つことができるように、神のすべての武具を身に着けなさい」と教えています※13。

神の武具とは、真理の帯、正義の胸当て、福音のはきもの、信仰の楯、救いのかぶと、御霊の剣(神のことば)そして御霊による祈りのことです。信仰生活における悪魔との戦いに備えて、しっかりと神の武具で身を包んで生活しましょう。

「ですから、神に従い、悪魔に対抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。」※14

3. 神の子どもの権利

神の子どもとして生きることは、すばらしい特権です。神との親しい交わりを体験できるからです。聖書を通し、また祈りのなかで、あなたも神に聴く(心の耳を傾ける)ことができます。どんなに忙しくとも、この時間を優先して確保しましょう。神の子どもとして霊的祝福を受けている喜び※15 は、神との親しい交わりを通して、新鮮に体験できるものです。

日々、神の恵みで心が強められるのはよいことです※16。私たちは努力や功績、あるいは何か規則を守ることによって、罪から救われたのではありません。ただ十字架のあわれみのゆえに、イエスに信頼したことで救われました。

それは、だれかがあなたに福音を伝えてくれたおかげでもあります。神の恵みを心に刻み、福音宣教の重要性を忘れてはいけません。信仰によって生きる他のクリスチャンたちと定期的に時間を過ごし、聖書の学び、祈り、そして伝道のバランスを保つよう心がけましょう。

気をつけてほしいのは「しなければならない」症候群です。聖書を読まなければならない、祈らなければならない、伝道しなければならないなど、自分の努力だけで信仰生活を送ろうとするなら、挫折感に満ち、豊かな実は期待できません。

健康な霊的生活は、人の努力によるものではなく、信仰によってイエスにとどまる結果、もたらされるものです。聖霊に満たされ生きるとき、聖書は生きたものとなり、祈りは力あるものとなり、 伝道は効果的になり、神に従うことは喜びとなるのです。

「わたし(イエス)にとどまりなさい。わたしもあなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木にとどまっていなければ、自分では実を結ぶことができないのと同じように、あなたがたもわたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです。」※17

私はこれまで伝道の結果として、何千人もの人たちをイエスに導く特権が与えられました。けれども、人を新しく生まれさせたのは、私の力ではなく聖霊の働きです。ですから、信じた人の数が多いからと誇ることはできませんし、たとえ実が少なくとも落胆したりはしません。実を結ぶ責任は聖霊にあります。

聖霊は、私たちの内で、私たちを通して働き、出会った人々に実を結ばせ、ひとりひとりの人生を変えられるのです。私たちの責任はただ神に信頼し、従うことです。

イエスは弟子たちに、全世界に出て行き、福音を伝えるよう命じました※18。その命令には、イエスがいつも彼らとともにいるという約束が伴っていました。イエスは「全世界に行って、福音を伝えなさい。幸運を祈る!」とは言われませんでした。

イエスはこう言われました。「わたしには天においても地においても、すべての権威が与えられています。…見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」※19

イエスが心にいるということは、必要なすべてを持っているということです。あなたはイエスにあって満たされた存在です※20。 あなたは愛を必要としていますか。イエスは愛そのものです。喜びを必要としていますか。イエスは喜びです。平安を必要としていますか。イエスは平安です。忍耐を必要としていますか。イエスは忍耐です。知恵を必要としていますか。イエスは知恵です。

私たちの内面の必要も、福音宣教における必要も、イエスが満たしてくださいます。イエスは、イエスを信じる私たちと、ともにいてくださるのです。このあふれる恵みを心に抱きしめ、生きる限り、イエスとともに歩んでください。

4. 信仰によって生きる

聖霊に満たされて歩むことは「信仰の生涯を生きる」ということです※21。私たち人間は、さまざまな感情を持つ存在として造られました。そのことを神に感謝しましょう。けれども、霊的な生活を評価するのに感情ばかりに重点を置くと問題が起きます。たとえば神を愛する人は必ずしも、感情的にイエスが大好きな人のことではありません。聖書によると、神を愛する人とはイエスの命令を受け入れ、従う人のことです※22。

もちろん、とめどなく涙があふれたり、抑えきれないほどの喜びに興奮したりする、特別な感情もあるかもしれません。しかし、そのような体験は、信仰と従順の副産物であり、個人差があり、一時的なものです。

大切なことは、信仰によって生き続けることです。特別な感情体験を追い求める人生ではなく、信仰によって神とともに生きる人生を求めていきましょう。

聖霊に満たされ歩むとき、私たちは真実である神ご自身と、神のことば(聖書)に信頼して生活します。神ご自身と神のことば、それがクリスチャンの信仰の対象です。

その聖書の中に「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画に従って召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となる」※23 という約束があります。このすばらしい約束を、あなたは信じるでしょうか。

もし信じるなら、1テサロニケ5:18 の命令も、理にかなったものであることがわかるでしょう。「すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」

私たちはあらゆる状況の中で「神さま、感謝します」と言うことを学ぶ必要があります。よいことが起きているときには、感謝しやすいものです。

しかし、よくないことが起きているときはどうでしょう。失恋したとき、病気のとき、大学の単位を落としたとき、失敗したとき、差別されたときはどうでしょう。愛なる神の計画を信じ、神に感謝をささげているでしょうか。それとも、辛いときに神に感謝するのは愚かなことでしょうか。

私は以前、物事が自分の思い通りにいかないと、ひどくいらだちました。閉ざされている扉を、無理にこじ開けようとしたものです。心は張りつめ、周りの人にもイライラとした気持ちで接しました。そしてやっと気づいたのです。自分がとんでもない愚か者であることを……。

私は自分の思い通りにならないときでも、信仰によって「神さま、感謝します」と言うことを学びました。それから私は、もっとリラックスできるようになりました。

神はこの世界のすべてをおさめている全能者です。この神が、私の想像も及ばない「より良い計画」に導いてくれると、私は信じるようになったのです。これは感情からくる感謝というより、神への信頼からくる感謝、つまり「信仰による感謝」です。

以前、弟子訓練キャンプで、ある若い女性が涙ながらに、数か月前に事故で婚約者を失った心の痛みを打ち明けてくれました。自分たちの婚約パーティーから車で帰宅する途中、対向車がセンターラインを越えてきたのです。衝突を避けるためハンドルを切った結果、道路わきの電柱に衝突したのです。一瞬にして最愛のフィアンセを失うという悲劇は、自分が車を運転していたという事実と重なって、彼女をひどく複雑な気持ちにし、胸を痛ませていたのです。「私はどうしたらいいのでしょう」と彼女は泣きくずれました。

クリスチャンである彼女は、すでに心療内科の医師、カウンセラー、教会の牧師、他にも多くの人に相談をしに行ったと言いました。「もしあなたが助けてくれないのなら、気が変になりそうです」と彼女は言いました。

それを聞いて、私は彼女にローマ8:28と1テサロニケ5:18から「信仰による感謝」の原則を話しました。そして「最愛の友を失ったことを神に感謝しましたか」とやさしくたずねました。彼女は驚いて、私の質問を正しく聞き取れたかどうか耳を疑うほどでした。彼女は戸惑った表情でこう言いました。「こんな悲しみを、どうして神に感謝できるでしょうか」

「あなたは神を信頼しないのですね」と私が聞くと、彼女は「いいえ、信頼しています」と答えました。それで私は「感情的には難しいでしょうし、はじめはバカげていると思うかもしれません。でも、この悲しみの中でも、あなたが神に信頼していることを、神に話してみたらどうでしょう」と提案しました。

私たちはともにひざまずき、彼女は涙ながらに祈りました。「神さま、どうして私の最愛の人が死んだのか、私にはわかりません。でも私はあなたを信頼します。神さま、感謝します。」

彼女が「神さま、感謝します」と言ったとき、彼女は神への信仰を具体的にあらわしたのです。ヘブル11:6 には「信仰がなければ、神に喜ばれることはできない」とあります。 神への信仰をあらわす最善の方法は、どのような状況にあっても「感謝します」と神に言うことです。

あなたは何か悲劇的なことが起きたがゆえに、心のなかで神を憎んでいるかもしれません。「どうして、神はこのようなことをゆるされたのか」と苦悩しているかもしれません。けれども神はこう言われます。「すべてのことに感謝しなさい」と。

次の朝、この女性は喜びにあふれた表情で、私のところにやってきました。彼女は言いました。「昨夜、あの事故以来初めて、睡眠薬を飲まないで、ぐっすり眠ることができました。今朝目覚めたとき、神への賛美と感謝があふれてきました。どうしてかはわかりませんが、神に感謝するよう教えてくださったことと関係があることはわかります。」

このように、すべてのことに感謝するという教訓を学び、人生が変えられた人の証しは他にもたくさんあるのです。

あなたの人生にも、さまざまなドラマがあるでしょう。よく見えるときも、悪く見えるときもあるかもしれません。人生とはそういうものです。神は真実な方です。あなたを見捨てることなく、いつまでもともにいて導いてくださいます。

どのようなときも霊的呼吸を続け、聖霊に満たされて歩みましょう。自我ではなく、イエスに心をおさめていただき、霊的戦いの備えをし、神の子どもとしての権利を心にとめ、信仰によって一歩一歩、歩んでいきましょう。

神はあなたを愛しておられ、あなたに豊かな人生を与えてくださいます。聖霊に満たされ歩むなかで、あなたも多くの実を結ぶ人生を経験されますようにお祈りいたします。

※動画版 『聖霊に満たされ続けるには』もご覧ください。

[著者紹介]ビル・ブライト(1921-2003年)実業家であり、フラー神学大学院の大学院生であったビル・ブライトは、将来社会を導くリーダーに福音を届けるビジョンをもって、妻のヴォネットとカルフォルニア大学ロサンゼルス校で伝道を開始。このムーブメントが全米、世界各国に広がった。ビルとヴォネットは、国際キャンパス・クルセード・フォー・クライストの創設者であり、長年総裁を務めた。多くの著書、小冊子が多数ある。本稿はビル・ブライト博士のメッセージ “How You Can Walk in the Spirit”の日本語短縮版。

脚注:(1) ヨハネ14:12-14,15:5,8,12 (2) マタイ6:24 (3) ローマ8:9 (4) 1コリント3:1-3 (5) マタイ 6:33 (6) 1ヨハネ2:15-17 (7) ガラテヤ5:17 (8) ヤコブ1:14,15 (9) ガラテヤ5:16 (10) 1ペテロ5:8-9 (11) 1コリント10:13 (12) 1ヨハネ4:4b (13) ヤコブ4:7-8a (14) エペソ6:11 (15) エペソ1:3-14 (16) ヘブル13:9 (17) ヨハネ15:4-5 (18) 福音を伝えることは「弟子としなさい」という命令の一部です。 (19) マタイ28:18,20 (20) コロサイ2:9~10 (21) ガラテヤ3:11, ヘブル11:6 (22) ヨハネ14:21 (23) ローマ8:28

聖書:新改訳聖書2017©️2017新日本聖書刊行会


●個人学習のために

1. 以下の人たちの聖霊とともに歩む人生はどのようなものだったでしょうか。

a. パウロ(使徒18:4-11, ピリピ4)
b. ペテロ(使徒3:1-26, 4:13)
c. ステパノ(使徒6:8-15, 7:51-60)

2. あなたにとって「思いわずらい」を神にゆだねるとは、どのような意味でしょうか。あなたはどのように「思いわずらい」を神にゆだねていますか。

3. ヨハネ15:1-8のぶどうの木と枝のたとえは、あなたのクリスチャンとしての人生にどのような意味があるでしょうか。

4. 「霊的呼吸」は信仰面の成長にどのように役立つでしょうか。(ローマ14:23, 1ヨハネ1:9, 1 コリント10:13, エペソ5:18, 1ヨハネ5:14-15)

5. 神は1ヨハネ2:1-6で、神はあななに何を約束していますか。

6. あなたの人生で、自我が人生の王座についている状況はあるでしょうか。今週、自我が王座についていると気づいたとき、どのようにキリストに王座を譲ることができるでしょうか。

7. どのような霊的武器で、この世、肉、悪魔に立ち向かい、自分を守ることができるでしょうか。エペソ6:11-18を見てください。

8. これらの聖書箇所は、信仰生活における祈りの大切さを教えています。なぜ私たちは祈る必要があるのでしょうか。

a. ヘブル4:15-16
b. ヤコブ5:16
c. 1サムエル12:23
d. ヤコブ1:5

9. どのように「豊かなクリスチャンの人生」を体験できるのでしょうか。「豊かなクリスチャンの人生」とはどのようなものだと思いますか。

10. 神に信頼するときに与えられる神の約束とは何でしょうか。

a. ヨブ12:9-10
b. 詩篇16:1
c. 伝道者2:24-26
d. イザヤ40:10-11
e. イザヤ41:10

11. 信仰生活における「感情」の位置づけとはどのようなものでしょうか。感情体験を求めて信仰生活を送ると、どのような問題が起こるでしょうか。

12. 以下の聖書箇所は感謝について何を語っているでしょうか。「すべてのことに感謝する」ことをしないと、私たちの人生に何が起こるでしょうか。

a. 1テサロニケ5:18
b. ピリピ4:11
c. 詩篇95:2
d. ピリピ4:6

13. ローマ8:28は、あなたの人生にどのような実践的な意味があるでしょうか。この聖書箇所を実践しないとき、どのようなことが起こるでしょうか。

14. ヨハネ14:21では、聖書の約束に従うことについてどう語っているのでしょうか。


●グループ・ディスカッションのための質問

1. 最近、霊的呼吸をした経験があれば、分かち合ってください。霊的呼吸は、あなたと神との歩みの助けになりますか。

2. もしあなたに子どもたちがいるとして、子どもたちに霊的呼吸をすることを教える利点は何でしょうか。どのように子どもたちに霊的呼吸を教えますか。霊的呼吸を実践するとき、家庭の雰囲気は変わるでしょうか。

3. あなたの人生で、神のことば以上に、あなたの感情や感覚に頼ってしまう領域はありますか。もしその例があれば、分かち合ってください。

4. 聖書では、この世、肉、悪魔から誘惑がくると語っています。今日、どのような霊的な戦いや誘惑がありますか。

5. 神があなたの必要に答えて、必要を満たしてくれた経験はありますか。あなたはどう神に感謝をささげましたか。

6. あなたはどのように神を賛美する習慣をもっていますか。具体的に賛美や礼拝の心を成長させることはできるでしょうか。賛美することは、あなたの信仰生活をどのような面で強めてくれるでしょうか。


●『伝わる概念』シリーズ
生き生きとしたクリスチャンとして、以下の概念をまず自分のものとして、次の人に伝えてあげてください。

1. イエスの独自性
2. クリスチャンである確信を持つためには
3. 神の愛とゆるしを体験するには
4. 聖霊に満たされるには
5.聖霊に満たされて歩むには(本稿)
6. 伝道で実を結ぶには ⇦次は
7. イエスを友だちに紹介するには
8. 大宣教命令を成就するには
9. 信仰によって愛するには
10. 確信をもって祈るには
11. 献金の聖書的意義
11.神の御国に投資する
11.聖書的資産運用